2006年07月05日
今だから言えること
ウチのエイトは予定日よりも1ヶ月以上早く帝王切開で生まれました。
一応は過去の記事で生まれた時の状況を書いてますが、あの時は書けなかった事もあるので
あの時の気持ちを忘れない為にも再度詳しく書いてみようと思います。
一応は過去の記事で生まれた時の状況を書いてますが、あの時は書けなかった事もあるので
あの時の気持ちを忘れない為にも再度詳しく書いてみようと思います。
忘れもしない2月7日の朝のこと。
起きると妻が「出血してるねんけど・・・」と言いました。
「えっ予定日まだやけど、もうおしるしなん?」と聞くと「違うと思う」と返答。
とりあえず通っていたクリニックに電話したところ「夕方に診察に来てください」との事でした。
インターネットで色々調べてみると、あんまり良い兆候ではなさそうな感じでした。
その為、会社に電話を入れ休んで病院についていくことにしました。
ちょうどその日の午前中、3月に生まれるはずだったエイトのベビーベットが宅配で届きました。
夕方クリニックへ。
クリニックへ行くのは2回目で、前回行ったのは「父親教室」の時。
立会い出産を予定していて、このクリニックでは立会いを希望する場合は「父親教室」に参加せねばいけないという条件があったのです。
それが1回目だったので、診察についていったのは初めて。
妻が呼ばれて診察室へ入っていきました。
30分経過。 出てきません。
「長いなぁ」とは思いつつも、産婦人科の平均的な診察時間がわからなかったので「まぁこんなもんなんやろか?」と思ってました。
1時間経過。 明らかにおかしいと思い始めました。
妻より後に診察室に入った人たちがどんどん清算を終えて帰って行きます。
「これ、かなりマズイのかも?」と思い始めた頃、ついに自分も「ご主人ですか?」と診察室に呼ばれました。
診察室に入ると妻はベットに横になり、お腹の中にいる赤ん坊の心音を計っていました。
先生がこの音を聞いてみと言うので聞いていると
「ドクンドクンドクンドクン」
初めて聞いたので最初は「おぉこれが自分の子供の心臓の音かぁ」と状況も忘れ少し感動。
が、しばらくすると
「ドクンドクンドクンドクン ドックン ドックン ド ッ クン ド ッ クン ド ッ ク ン ド ッ ク ン」
停まりかけます。
で
しばらくするとまた正常。で、また停まりかけるの繰り返し。
先生が言うには
「原因はまだわからないけど、胎内で弱っているのは間違いない。今すぐ出してあげないと3日くらいで胎内で死んでしまうかも知れない」とのことでした。
その説明を聞いている時にもまた心音は停まりかける。
妻は泣き出しました。
自分も泣きかけたのですが、「ここでオレまで泣いたらアカン!」と思いグッとこらえました。
そんなわけで急遽帝王切開にて出産することに。
そのクリニックでも帝王切開の手術は出来るのですが、生まれてくる子はまだ小さいだろうから
その子をケアする設備がない為、ここで手術しても産後、母子が別々の病院になる可能性が高いとのこと。
大きな病院を紹介してあげるからそっちで手術を受けなさいとのことでした。
で救急車でその病院へ。
救急車の中で妻は酸素ボンベにて濃い酸素を吸っていました。
お腹の中の子になるべく酸素がいくようにってことらしかったです。
自分はずーーっと心の中で「なんとか無事に生まれてきて」と祈ってました。
で病院に着き、間もなく手術開始。
この頃には、今でこそ言えますが、どんな結果になっても仕方ないと腹をくくっていました。
というか、最悪の結果になっても妻をケアしてあげれるようにという心の準備をしていました。
手術開始から30分ほどしてドアが開きました。
保育器に入れられて生まれたばかりの赤ん坊が出てきました。
「おめでとうございます。男の子です」という看護婦さんの声。
自分の第一声は「ええええええええええええ」でした。
生まれる前まで「女の子ですね」と先生に言われていたからです。
名前も「奈々」か「奈々花」にしようか?と言ってました。
実際、救急車の中でも妻はお腹の中の子に向けて「ナナ、がんばって!」と祈っていたそうです。
なのでめちゃくちゃ驚きました。
次に看護婦さんにかけた言葉は「大丈夫なのでしょうか?」
看護婦さんの回答は「精密検査をしなければいけませんが、産声もあげたので大丈夫だと思います」とのことでした。
とりえあえず、生まれたので少しは安心したのですが違う不安が襲ってきました。
そんなことを考えながら更に20分後。妻も出てきました。
半身麻酔だった為、少し話すことが出来ました。
まずお互いの第一声は「男の子やったやろ???」でした。
で妻からの質問。 「どうって?」
自分の回答は「産声あげたので多分大丈夫とは言ってたけど、とりあえず検査があるらしい」
で妻が入院する病室へ。
その頃には妻の両親も病院に着いていました。
しばらくして先生からの説明。
「早産に至った原因は色々とありますが、まずへその緒が細かったということと、それが何かの拍子に圧迫されたようで胎児に酸素や栄養が行きにくくなったのが直接の原因ではないかと思います」との事。
また「胎内でストレスを受けたことによって排泄してしまって、それを更に吸い込んでしまっている為、肺の機能が低下しています。今後こちらについてはNICU(新生児集中治療室)にて治療していきます」
とのことでした。
この時に生まれた時の体重もわかりました。
1944グラム。未熟児とのことでした。
ほどなくして説明も終わったのですが、終わった直後の自分には不安しかありませんでした。
で子供と対面する為、初めてのNICUへ。
中に入るといっぱい赤ちゃんが居ました。
集中治療室と聞いて想像していたものとは全く違う世界でした。
で自分の子供のところへ。
保育器越しの対面。ちっちゃな体で小さな小さな声を出して泣いてました。
心音を計るものや点滴をつけられ、保育機内は通常よりも濃度の濃い酸素が送られていました。
ただ体をちょこちょこ動かしているのを見て、ほんの少しだけ不安が小さくなりました。
で妻の病室へ戻り報告し、しばらくして一人で帰宅。
時刻は夜の12時ちょっと前。
午前中に届いたベットが玄関の入ったところにそのまま置いてありました。
それを見て、とても同じ日に起こったこととは思えませんでした。
とてもとても濃い一日でした。
まだ父親になったという実感もなく、とにかく不安でいっぱいでした。
普段はケータイに対してあまり意識がなく、あまり手元に置いておくという習慣がないのですが
その日からは「病院から緊急の連絡があるかも?」としばらくの間、ずっと手元に置いていました。
友人への報告も親友と呼べる人間のみにしました。
正直なところ「まだどうなるかわからない」と思っていたからです。
名前など考える余裕もありませんでした。
そういう気持ちで何日か過ごしていくうちに徐々に不安も解消されていき、初めて抱いたり、ミルクをあげたり出来るようになっていきました。
その後はブログに書いてあるとおりです。
あの時ああいう思いをしたからこそ、今のエイトの成長ぶりがすごく嬉しく思います。
エイトが大きくなったらぜひこの話を聞かせてあげたいと思います。
起きると妻が「出血してるねんけど・・・」と言いました。
「えっ予定日まだやけど、もうおしるしなん?」と聞くと「違うと思う」と返答。
とりあえず通っていたクリニックに電話したところ「夕方に診察に来てください」との事でした。
インターネットで色々調べてみると、あんまり良い兆候ではなさそうな感じでした。
その為、会社に電話を入れ休んで病院についていくことにしました。
ちょうどその日の午前中、3月に生まれるはずだったエイトのベビーベットが宅配で届きました。
夕方クリニックへ。
クリニックへ行くのは2回目で、前回行ったのは「父親教室」の時。
立会い出産を予定していて、このクリニックでは立会いを希望する場合は「父親教室」に参加せねばいけないという条件があったのです。
それが1回目だったので、診察についていったのは初めて。
妻が呼ばれて診察室へ入っていきました。
30分経過。 出てきません。
「長いなぁ」とは思いつつも、産婦人科の平均的な診察時間がわからなかったので「まぁこんなもんなんやろか?」と思ってました。
1時間経過。 明らかにおかしいと思い始めました。
妻より後に診察室に入った人たちがどんどん清算を終えて帰って行きます。
「これ、かなりマズイのかも?」と思い始めた頃、ついに自分も「ご主人ですか?」と診察室に呼ばれました。
診察室に入ると妻はベットに横になり、お腹の中にいる赤ん坊の心音を計っていました。
先生がこの音を聞いてみと言うので聞いていると
「ドクンドクンドクンドクン」
初めて聞いたので最初は「おぉこれが自分の子供の心臓の音かぁ」と状況も忘れ少し感動。
が、しばらくすると
「ドクンドクンドクンドクン ドックン ドックン ド ッ クン ド ッ クン ド ッ ク ン ド ッ ク ン」
停まりかけます。
で
しばらくするとまた正常。で、また停まりかけるの繰り返し。
先生が言うには
「原因はまだわからないけど、胎内で弱っているのは間違いない。今すぐ出してあげないと3日くらいで胎内で死んでしまうかも知れない」とのことでした。
その説明を聞いている時にもまた心音は停まりかける。
妻は泣き出しました。
自分も泣きかけたのですが、「ここでオレまで泣いたらアカン!」と思いグッとこらえました。
そんなわけで急遽帝王切開にて出産することに。
そのクリニックでも帝王切開の手術は出来るのですが、生まれてくる子はまだ小さいだろうから
その子をケアする設備がない為、ここで手術しても産後、母子が別々の病院になる可能性が高いとのこと。
大きな病院を紹介してあげるからそっちで手術を受けなさいとのことでした。
で救急車でその病院へ。
救急車の中で妻は酸素ボンベにて濃い酸素を吸っていました。
お腹の中の子になるべく酸素がいくようにってことらしかったです。
自分はずーーっと心の中で「なんとか無事に生まれてきて」と祈ってました。
で病院に着き、間もなく手術開始。
この頃には、今でこそ言えますが、どんな結果になっても仕方ないと腹をくくっていました。
というか、最悪の結果になっても妻をケアしてあげれるようにという心の準備をしていました。
手術開始から30分ほどしてドアが開きました。
保育器に入れられて生まれたばかりの赤ん坊が出てきました。
「おめでとうございます。男の子です」という看護婦さんの声。
自分の第一声は「ええええええええええええ」でした。
生まれる前まで「女の子ですね」と先生に言われていたからです。
名前も「奈々」か「奈々花」にしようか?と言ってました。
実際、救急車の中でも妻はお腹の中の子に向けて「ナナ、がんばって!」と祈っていたそうです。
なのでめちゃくちゃ驚きました。
次に看護婦さんにかけた言葉は「大丈夫なのでしょうか?」
看護婦さんの回答は「精密検査をしなければいけませんが、産声もあげたので大丈夫だと思います」とのことでした。
とりえあえず、生まれたので少しは安心したのですが違う不安が襲ってきました。
そんなことを考えながら更に20分後。妻も出てきました。
半身麻酔だった為、少し話すことが出来ました。
まずお互いの第一声は「男の子やったやろ???」でした。
で妻からの質問。 「どうって?」
自分の回答は「産声あげたので多分大丈夫とは言ってたけど、とりあえず検査があるらしい」
で妻が入院する病室へ。
その頃には妻の両親も病院に着いていました。
しばらくして先生からの説明。
「早産に至った原因は色々とありますが、まずへその緒が細かったということと、それが何かの拍子に圧迫されたようで胎児に酸素や栄養が行きにくくなったのが直接の原因ではないかと思います」との事。
また「胎内でストレスを受けたことによって排泄してしまって、それを更に吸い込んでしまっている為、肺の機能が低下しています。今後こちらについてはNICU(新生児集中治療室)にて治療していきます」
とのことでした。
この時に生まれた時の体重もわかりました。
1944グラム。未熟児とのことでした。
ほどなくして説明も終わったのですが、終わった直後の自分には不安しかありませんでした。
で子供と対面する為、初めてのNICUへ。
中に入るといっぱい赤ちゃんが居ました。
集中治療室と聞いて想像していたものとは全く違う世界でした。
で自分の子供のところへ。
保育器越しの対面。ちっちゃな体で小さな小さな声を出して泣いてました。
心音を計るものや点滴をつけられ、保育機内は通常よりも濃度の濃い酸素が送られていました。
ただ体をちょこちょこ動かしているのを見て、ほんの少しだけ不安が小さくなりました。
で妻の病室へ戻り報告し、しばらくして一人で帰宅。
時刻は夜の12時ちょっと前。
午前中に届いたベットが玄関の入ったところにそのまま置いてありました。
それを見て、とても同じ日に起こったこととは思えませんでした。
とてもとても濃い一日でした。
まだ父親になったという実感もなく、とにかく不安でいっぱいでした。
普段はケータイに対してあまり意識がなく、あまり手元に置いておくという習慣がないのですが
その日からは「病院から緊急の連絡があるかも?」としばらくの間、ずっと手元に置いていました。
友人への報告も親友と呼べる人間のみにしました。
正直なところ「まだどうなるかわからない」と思っていたからです。
名前など考える余裕もありませんでした。
そういう気持ちで何日か過ごしていくうちに徐々に不安も解消されていき、初めて抱いたり、ミルクをあげたり出来るようになっていきました。
その後はブログに書いてあるとおりです。
あの時ああいう思いをしたからこそ、今のエイトの成長ぶりがすごく嬉しく思います。
エイトが大きくなったらぜひこの話を聞かせてあげたいと思います。
by 8パパ at 20:58│Comments(4)
│子育てに思う
この記事へのコメント
エイトパパはじめまして、nonと申します。 とても感動して、涙がでました。
エイト君はお元気に、お育ちのご様子、うれしいです。
暖かな気持ちになります。
私は2人子供がいます。二人は無事産まれましたが
2人とも、産まれて2日後、黄疸がきつく、心臓の機能がわるかったりで、
2〜3日、哺育器にいました。
産まれてきた子供にお乳もあげられなく、
だっこもできず、
ベットで泣いていた、
あの頃とリンクしてしまいました。
幸い軽いものでしたので、その後、うちの子供達はとても元気に育ちました。
エイト君は、ご両親にほんとに大切にされ、愛をいっぱい頂いておられ素敵ですね。
子供さんは何かがあった時、大切にしてくれる暖かな家族や、自分を信頼してくれる家族がいると、(現実にそばにいなくても、そういう体験や経験を感じて育つと)自分で乗り越えて行かれるみたいです。
たとえ、自分がダメになりそうになっても、
自分を愛してくれていた存在を感じる事で、
自分で育ち、自分で問題を乗り越えていく力に変えていかれるんだな〜と
ベビーシッターをしてて、私は時々そう感じています。 ただ、ご家族が愛情いっぱいでも、お子さん自身が、どう感じるかで違うみたいですが、、。
でも、お子さんが大人になってからでも、自分は確かに、誰かに愛されていたと、いつかきずかれる時がくると、
きっとそんな時がくると、信じたいと思う私でもあります。
エイトパパさん、感動を、ありがとうございま〜す。
エイト君はお元気に、お育ちのご様子、うれしいです。
暖かな気持ちになります。
私は2人子供がいます。二人は無事産まれましたが
2人とも、産まれて2日後、黄疸がきつく、心臓の機能がわるかったりで、
2〜3日、哺育器にいました。
産まれてきた子供にお乳もあげられなく、
だっこもできず、
ベットで泣いていた、
あの頃とリンクしてしまいました。
幸い軽いものでしたので、その後、うちの子供達はとても元気に育ちました。
エイト君は、ご両親にほんとに大切にされ、愛をいっぱい頂いておられ素敵ですね。
子供さんは何かがあった時、大切にしてくれる暖かな家族や、自分を信頼してくれる家族がいると、(現実にそばにいなくても、そういう体験や経験を感じて育つと)自分で乗り越えて行かれるみたいです。
たとえ、自分がダメになりそうになっても、
自分を愛してくれていた存在を感じる事で、
自分で育ち、自分で問題を乗り越えていく力に変えていかれるんだな〜と
ベビーシッターをしてて、私は時々そう感じています。 ただ、ご家族が愛情いっぱいでも、お子さん自身が、どう感じるかで違うみたいですが、、。
でも、お子さんが大人になってからでも、自分は確かに、誰かに愛されていたと、いつかきずかれる時がくると、
きっとそんな時がくると、信じたいと思う私でもあります。
エイトパパさん、感動を、ありがとうございま〜す。
From non at 2006年07月06日 02:53
nonさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
子育ては大変だなぁと思いますが、それ以上に子供から学ぶこと、嬉しいことが多いと特にこのごろ感じます。
がんばって一人前にしてやりたいと思います!
コメントありがとうございます。
子育ては大変だなぁと思いますが、それ以上に子供から学ぶこと、嬉しいことが多いと特にこのごろ感じます。
がんばって一人前にしてやりたいと思います!
From 8パパ at 2006年07月07日 18:06
お久しぶりです。
不安とどきどき、そしてどっきりのお誕生だったんですね。
私は超未熟児出産で男の子を亡くしたことがあり、NICUの言葉を聞くと、当時のことを思い出します。
命って神秘ですね。
そして今やすっかり成長したエイト君は、パパにとって更に神秘的な存在?になっているんじゃないでしょうか(笑)
不安とどきどき、そしてどっきりのお誕生だったんですね。
私は超未熟児出産で男の子を亡くしたことがあり、NICUの言葉を聞くと、当時のことを思い出します。
命って神秘ですね。
そして今やすっかり成長したエイト君は、パパにとって更に神秘的な存在?になっているんじゃないでしょうか(笑)
From 鮫島 利香 at 2009年03月06日 21:41
>鮫島 利香さん
こんにちは。
はい、生まれたばかりの時は初めての子ってのもあってあたふたしてました。
当時は今日みたいな感じは全く想像出来ませんでした。
本当に不思議です。
こんにちは。
はい、生まれたばかりの時は初めての子ってのもあってあたふたしてました。
当時は今日みたいな感じは全く想像出来ませんでした。
本当に不思議です。
From えいと(8パパ) at 2009年03月09日 18:25
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